消えていった「天鉄書体」

こんばんは、今日はミステリーハンターのかんりです。

 今日の話題は国鉄の方向幕に関する話題です。全国津々浦々まで統一されていった国鉄のスミ丸ゴシック表記の方向幕、当たり前のように何処でも見られたわけですが、実はそんな中でも一部では面白い別の字体が存在していました。恐らく方向幕フリークの方々の中でも、有名にして異端とされるのが「天鉄書体」と呼ばれる異様な字体です。
 面白いことに、旧国鉄体制下で天王寺鉄道管理局の管轄範囲でのみ積極的に使われたようです。どういった書体か、1枚目の画像をご覧下さい。特徴としては、スミ丸ゴシックではなく、丸ゴシックであること、そして執拗なまでに縦長であること、文字の筆運びに滑稽さを持たせていること、などです。また、表記の基本として相矢表記であること、矢印ではなく棒であることです(この棒表記は関西私鉄においても標準的表記であった)。101系、103系、113系、165系などで用いられたようです。
 鉄道趣味家の方々ならご存知の、165系新宮夜行がまだしっかり健在だったころのものだと思います。
 そもそも丸ゴシックな上に、全国でスミ丸ゴシックを統一してデザインしていた「国鉄車両設計事務所」の共通図面字形とは大変かけ離れたデザインですから、かなり異様です。なぜこれを採用していたのか、大人の事情や政治的理由があったのか、それは分かりません。しかしながらこの「天鉄書体」は、誰にサヨナラを言うわけでもなく、気が付いたときには人々の前から消えていました。

天鉄書体の113系前面方向幕

天鉄書体の113系前面方向幕

 そして謎が残ります。天鉄書体はどこへ行ったのか。

 まず今日の国鉄書体の動向を振り返って見ますと、ごく近年まで東海道山陽線の緩行線は201系と205系、いち早く引退した113系も含めて、スミ丸ゴシックが健在でした。これらは車両設計事務所の図面ベースでした。またそれより少しさかのぼると、大阪環状線、関西線、阪和線なども103系で関東と共通図面ベースの、アルファベット併記となったスミ丸ゴシックを使っていました。これが1990年代末期ですから、たぶん1990年代にはもう天鉄書体は消えていってしまっていたということになるのでしょうか。
 わたしが高校生だった1997年ごろには既に関西線の赤い113系は姿を消していまして、環状線内で見た113系といえば確かまだ和佐行として運転されていた阪和線直通快速くらいのものでした。桜島線は6両編成でしたが103系でした(銀色の扉の環状線とは違い扉に白の化粧板が施されていて、どうして支線の方が豪華なんだろうかと思った記憶があります)。しかしながらどちらもスミ丸ゴシック表記だったと記憶しています。
 関西線103系は今と同じように環状線に乗り入れていましたし、学校帰りはいつも区間快速の大阪環状線外回りでした。この帰りの103系は緑色だったり橙色だったりするのですが、前面の幕のサイズと表記が微妙に違うものが(確か3種類ほど)混じっていました。それでも「天鉄書体」は見たことがありませんでした。当時は、まだ側面方向幕がない車両が結構いましたので前面のみが手がかりになることが多かったので、見かければ分かりそうなものです。

 昔話になってしまいましたが、当時、大阪近郊の路線は結構目玉ニュースが相次いでまして、例えば1994年には高架線の環状線今宮駅完成、湊町駅のJR難波改称、関西空港線の開業と大きな変化が起こっていました。さらには1996年に片町線から103系が撤退したそうで、これは関西では片町線からいち早く国鉄書体の方向幕が消えたということになります。(実際には207系の初期の種別幕は国鉄書体でしたから、一部は種別で残ったと思われます)。こうしてみると、やはり1990年にはもう「天鉄書体」は存在しなかったのではないかと強く感じられます。

 天鉄書体最後の手がかりを追いました。

 まず、113系のものと思われる天鉄書体の方向幕ですが、末期には色コマをビニールシールに印刷して貼りつけたコマが登場しています。これはローマ字併記がなく、いびつな体裁とはいえ既にスミ丸ゴシック化されています(写真2枚目)。ということは、丸ゴシックの天鉄書体はスミ丸ゴシックに吸収されていったということでしょうか。これによく似た雰囲気のシールコマが和歌山線の105系にも残っていました(写真3枚目)。恐らくこれらは1980年代のものと思われ、追加される前の配置時のコマは既にスミ丸書体の図面ベースで矢印表記であったようです。これを足跡だと見るなら、もはや既に1980年代にも「天鉄書体」はスミ丸ゴシックにおされ、消えてしまったと考えられます。

天鉄書体の113系前面方向幕に加えられたシールコマ

天鉄書体の113系前面方向幕に加えられたシールコマ

 

和歌山線105系前面方向幕に追加されたシールコマ

和歌山線105系前面方向幕に追加されたシールコマ

 いろいろ調べている中、ついに最後の足跡となると思われる方向幕を見つけました。阪和線の電動方向幕仕様の1本です。最初にこれを見たときは、民営化と混乱の最中どこかでやっつけで作られたものだろうかとさえ思ったわけですが、よーく調べてみると・・・ありました!手がかりが!。

113系天鉄書体の1コマ

113系天鉄書体の1コマ

103系の謎の書体のコマ(天鉄書体?)1

103系の謎の書体のコマ(天鉄書体?)1

103系の謎の書体のコマ(天鉄書体?)2

103系の謎の書体のコマ(天鉄書体?)2

 というわけで画像を貼ります。4枚目の画像が天鉄書体113系のコマ、5枚目と6枚目が問題の103系の方向幕のコマです。よーく見てください。これはすごい、明らかに天鉄書体を無理やりスミ丸ゴシックに置き換えたような書体になっています。レタリングの傾向は非常に似通っています、しかもなぜか歪んでいます。快速ロゴそのものも図面ベースの綺麗なものとは対照的に極めていびつで、手書きで真似したような代物です。実際に図面ベースの幕を装備した車両もいましたから、早速比べてみましょう。

共通図面ベースと思われる103系のコマ1

共通図面ベースと思われる103系のコマ1

共通図面ベースと思われる103系のコマ2

共通図面ベースと思われる103系のコマ2

 共通図面ベースの新製幕の同じコマを7枚目と8枚目に掲載しました。これぞまさしく国電オブ国電の表記、103系の最もオーソドックスな表記です。アルファベットも京浜東北線と全く同じです。そして製造はコロナ宣広社、千葉のメーカーでした。
 先の天鉄書体崩れのものも、この千葉で作られたものも、どちらも快速東岸和田のコマがありません。従ってダイヤベースで考えると、どちらも東岸和田を快速停車駅とした1980年代付近、快速東岸和田とJR難波加刷より以前のものなると思われます。やはり1980年代に天鉄書体の消失点が存在しそうです。

 色々と手がかりを手に入れてみて思うことは、天鉄書体が最後には103系の前面幕のようにスミ丸ゴシックベースに無理やり改変してまで存続を図っていたということ。これは特筆すべきだろうと思います。1987年に国鉄が解体、その後の方向幕には天鉄書体に変わって、「西日本書体」とも言うべき新たなアプローチでレタリングされた書体が使われるようになりました。画像9枚目、10枚目、11枚目に画像を載せます。これらは近年のJR西日本の「黒色幕化と市販書体採用」までの過渡期に使われました。スミ丸処理が施されているものの、共通図面の文字とは明らかに異なる特徴を持っています。最終的にはこのデザインで統一されることはなく、特に注目されることもなく消えてしまったのですが、もしかしたらこの書体こそが天鉄書体の後を継いで生まれた後継書体だったのではと考えてしまいます。もしこの書体で「永原」のコマが実在していれば、「永字八法」のエッセンスを抽出し、書体を復元できるかもしれません。まぁ、誰が得をするのかという話ですが・・・・。

JR西日本書体? 1

JR西日本書体? 1

 

JR西日本書体? 2

JR西日本書体? 2

 

JR西日本書体? 3

JR西日本書体? 3

 サインと文字の世界、ただ鉄道に限った範囲に絞ってもこれだけ深い、本当に広い世界ですね。だらだらと書いてしまいましたが、ここで本日の記事はおしまいです。おおよそ廃品として出回る方向幕を手にとって憶測で書いているだけなので、もしかしたら事実と異なることがあるかもしれません。お気づきの点がありましたらコメントにてご指摘頂ければと思います。宜しくお願いいたします。