有識者会議はオナニー会議なのか?

額田管理(かんり)です。政治色のある記事は書くつもりはなかったのですが、どうしても頭に来たので今回は書くことにします。

 まったく頭に来るニュースが続いています。そう、常用漢字見直し関連のニュースです。なんとここまで来てまだ「これこれを追加してくれ」と内閣法制局が出てきたかと思えば、今日の読売新聞の記事ですが、「しんにゅう(シンニョウ)は一点か二点か」で未だにもめているらしいのです。記事の中での焦点は「謎」という字だそうで、文化庁側が2点で押し切ろうと資料を提示したそうですが、その理由が「本や雑誌で2点しんにゅうが1点の6倍の頻出度だから」だそうです。
 なぜ統計?しかもなぜ雑誌が入るのか意味が分からないです。そもそも小説などの文学書籍であれば、作者がその物語のその場面に少なからず関わるであろう漢字の選定にその意味があるにせよ、それに対して統計を取るなどバカバカしいにも程があるでしょう。作者は物語なり、論説なりで、今ここだからこの漢字(字形)を使うという選択をしているだろうし、かたや雑誌に至っては「たまたま使ったフォントや書体がこれでした」としか言えないのではないかと思うわけです。さらに謎な点としては、しんにゅうが1点でも2点でも画数は変わらないんです。謎ですよね・・・。トリビア作りに必死になってるのですか。
 しんにゅうなど1点でよい、常用外も含めて全部1点でよいというのが私の意見です。OCRなど情報処理の技術的な話も視野に入れれば、偏やつくりといったパーツが全て統一されるほうが(簡単なほうに)絶対良いに決まっています。が、国語狂いの偏屈ジジイ達は唾を飛ばして反論するだろうなとは思いますけど。

 ここまで色々記事を見るに、この委員達は何?オナニーでもしているのですか?公金で?、本当に許せません。ダム工事を中止するだとか継続するだとか、そんな局地的な話題などどうでもよく(当該地域の人間で決着すればよい)全国民の国語がかかった話題がこれほどまでに無関心で小さな記事になってしまっているのは甚だ心外です。今までもこの小委員達が、おおよそ自己満足的な流れで取捨選択を行ってきたことはプレスから明らかなわけですが(ほとんど思想の論戦)、大事なことを忘れている気がしますよね。「鷹」の字の追加に関する応酬など、おおよそ感情論でありオナニー以外の何物でもないです。地名と人名を除外するというその法務省に対するあてつけめいた方針は何なのかと。
 まぁそれはともかくとして、常用漢字に変更があるということはJIS規格にも変更が在り得るのだということ、これを忘れてもらっては困ります。常用かそうでないかで字体の変更まで適用されここまでもつれているJISが横にいるのに、なぜJIS規格ありきの話にしないのか。このデジタル化の時代、教科書も雑誌も広告も、公文書も契約書も領収書も、みんなデジタル書体を用いているわけですよね。写真もデジタルカメラに殆ど移行して、写真家御用達のフィルムの生産中止すらニュースになったこの時代、写植の方も比例するように縮小傾向にあるわけです。このデジタル書体は、今後あらゆる場面において日本国語の活字の目に見えるベースになっていく、こんなことは誰に聞いても明らかでしょう。わたしは思います、なぜJISを差し置いて常用漢字なのか。なぜそのようなオナニーにいそしむのかということです。単なる漢字そのものの議論に終始し過ぎではないでしょうか。JISという、規格ありきの産業であってフォントであって、文字コードであってヘキサであって、今日のユビキタスを支える情報通信なんだと、そういう世界を全く無視してませんか。

 JIS規格を「聖典」とせざるを得ない情報通信業の我々は、フォントというプログラムを開発するにしても、これが最大の正義であり、真理であると考えてやっていくわけです。それが今のJIS X0213を見る限りあまりにもひどい。冒頭で話の出た「しんにゅう1点、2点問題」を含めて新旧差し替えなどのオナニー的趣向の強さに鼻をつまんでしまいます(恐ろしい加齢臭である)。国鉄方向幕書体を作っているときも困りました。X0213での旧字への思い切ったロールバックに対しても、「曙」「渚」などのような「常用漢字ではない」しかし「表外漢字字体表にはない」しかし「人名用漢字である」という漢字がポロポロと抜け落ち、「なおざり」になっているのです。漢字としての体系化に一貫性がなく、これを語学の有識者と称するオナニー委員たちが最終的にアウトプットしたのであれば、飲酒運転以上の重罪であってよろしいと思います。常用漢字でも人名漢字でもないものは色々と旧字に戻したのが前回のX0213ですが、今度新しくこれらが新字で復帰してこようものなら・・・。ちなみに国鉄方向幕書体は新しいJISがいい加減なものだった場合、対応するつもりはありません。
 どれだけ意欲があり、どれだけ強くフォントというものをつくり、文化に貢献しようとしても、このJIS規格というものは無視できないです。デジタルフォントはもっともっと出てきてしかるべきだとそう思っていますが、今のこの現状では参入する意欲は一段と落ち込むでしょうね。今度のJISは「文部科学省・法務省・その他省庁公認の完璧なものだ、少なくとも50年は変更の必要が無い!」と経済産業省が豪語できるようなものであれば、開発側の面々からすれば「よし遂に来たか!」という気持ちにもなるわけですが、未だにもめている、しかも今までに散々既出の話題です。いやというほど出てきて、先延ばしにして、だらだらやってきた。これがどれだけ落胆の種になっているか想像に容易いといえると思います。

 常用漢字とは何か?そこから真剣に考えた方がいいのではないかと思いますね。今の時代、一般市民にとってはパソコンで変換できる文字は全部使えると思っているでしょうし、常用漢字以外は本来使うべきではないと、そのために熟語まで置き換えて報道していると、一般市民が知っているでしょうか。それぞれの漢字1つ1つに文字コードが振られ、それが一意でないと情報システムが成り立たないと知っている一般市民はどれだけいるでしょうか。文部科学省なり文化庁なりのオナニーやメンヘラごっこで人が死ぬことは無いでしょうが、JISは人命に関わります(キッパリ!)。まぁ大げさかとは思いますが・・・。同じ漢字を使う以上、常用漢字というものを考える時、人名漢字、JIS規格、これらと総合で結論を出して行って欲しいと強く思う次第です。